- スーツの背中
- 「楽しく過ごした時間を、悲しい思い出に書き換えるな」
七瀬さんの言葉に、少女は泣き出した。
彼女のパパ、何かあったのかな……。
「離婚、だって。 もうパパには会えないんだって」
少女は目をこすりながらそう言った。
「突然……本当に突然、パパがいなくなったの」
大人の事情で傷つくのは子供。
肩を震わせて泣いている少女の前で、意外な展開に私は戸惑っていた。
「パパとママで解決しても、あたしの心はずっと未解決。
だからこの事件を解決してほしかったの」
そういうことだったのか……でも、どう解決すればいいんだろう。
私は少女のそばに歩み寄ってみたけれど、なんて声をかければいいかわからなかった。
「ここのコロッケはたしかにうまい」
え? 何?
七瀬さんを振り向くと、ベンチでコロッケをかじっていた。
あ、さっきのコロッケ。
「ほら、食え」
少女は不思議そうな顔でためらっていたけれど、涙を拭って、七瀬さんのもとへゆっくり進む。
「雨倉、おまえもだ」
私も紙に包まれたコロッケを受け取った。
まだ温かく、香ばしい油の匂いがした。
三人、ベンチに並んでコロッケをかじる。
「ここのコロッケ、あれから食べてなかった。パパのこと思い出して辛いから……」
「おまえの父さんだって、きっと同じだ」
少女は寂しそうに呟いた。
「パパ……あたしのこと、嫌いになったのかなぁ……」
「そんなことないですよ! きっとお父さんとお母さんの間で何か事情が……」
そんなこと言ってもなんの励ましにもならないことはわかっていた。
でも……。
「他人の気持ちなんて誰にもわからないさ」
七瀬さん、それじゃ身も蓋も……。
「他人じゃないもん……」
「自分以外はみんな他人だ。家族だって、当時の気持ちを知るのに何年もかかることもある」
たしかに……。
でもそんなこと、今の彼女に言っても……。
「おまえは父さんのこと嫌いになったのか?」
「ならないよ……。いつまでも、パパはパパだもん」
「なら、自分の目を信じるんだな。
おまえと共に過ごした優しかった父さんを疑うのは、あまり気持ちのいいものではないだろ」
「そうだけど……」
少女は俯向く。
「俺は言ったはずだ。楽しく過ごした時間を悲しい思い出に書き換えるな、と。
おまえの思い出の中に嘘はない」
私は七瀬さんの言葉に、不思議な説得力を感じていた。
まるで自分が励まされているようなこの感覚。
なんだろう。
「俺は気休めを言うのは嫌いだが」
少女は七瀬さんを見上げた。
「だけどな、少女。 一緒に食ったコロッケの味は、なかなか忘れられるもんじゃない」
少女はコロッケをじっと眺めて、またかじり始めた。
「うん……。パパも、覚えてるかな……」
その後、彼女は学校の話や飼っているハムスターの話をしていた。
七瀬さんは聞いているのか聞いていないのかわからなかったけれど、少女は元気を取り戻したように見えた。
公園を出ると、少女は並木道の角で指を差して言った。
「あたし、あっち」
「あ、大丈夫ですか?」
「うん。解決したよ、事件」
少女は笑顔を見せる。
「刑事さん。あたし、今日食べたコロッケの味も……忘れない」
私が七瀬さんを振り向くと、七瀬さんは横を向いたまま、小さく答えた。
「そうか」
こうして、私たちは初めての仕事を終えた。
結局、私は何もできなくて、七瀬さんがひとりで解決してくれた。
目の前の無愛想な刑事さんを、私はちょっと見直している。
「七瀬さん! 未解決事件捜査課の仕事も、悪くないですね」
先を歩くスーツの背中に、声をかけてみた。
「もうごめんだ」
たったひとりの上司、七瀬祥之介。
この日から、私はその背中を追い続けることになった。
- 事件現場への道
- 目の前に立っているのは小さな少女。
未解決事件の捜査……?
でも! 小さなことでもいい。
もし何か事件があるのなら、捜査をするべきだ。
「七瀬さん! 事件です! 仕事です!」
「おまえ、本気で言ってるのか?」
呆れた声が返ってくる。
大丈夫、想定内。
私は七瀬さんの前に立った。
「七瀬さん。刑事の職務怠慢は立派な罪ですよ」
「知らんな」
「見てください。 あんな幼気な少女が助けを求めているんです」
七瀬さんは仕方なさそうに、少女の方に目をやった。
「おじさん! 暇なんでしょ? ちょっとつき合ってよ」
「あれのどこが幼気な少女なんだ?」
うーん……ちょっと少女のイメージは違ったみたい。
しかし後に引けなくなった私は、七瀬さんを無理やりつき合わせることに成功させた。
1時間かけて。
思い出したら吐き気がするほどの努力で。
30分後、私たちは少女に連れられて商店街を歩いていた。
通りのざわめきに負けない大きな声で、少女はずっとしゃべり続けている。
「ここのお肉屋さん! パパはここのコロッケが一番好きなんだよ!」
「そ、そうですか」
どこに未解決事件があるんだろう。
七瀬さんはだいぶ遅れてついてくる。
案の定、この上なくつまらなそう。
一応、ついてきてくれるんだから、まあいっか。
「それでね、パパと一緒にコロッケ食べた後、このオモチャ屋さんでね……」
私は何をしているんだろう。
背後の七瀬さんを確認するのが怖い……。
恐る恐る後ろを振り向くと、七瀬さんは肉屋でコロッケを買っていた。
意外と楽しんでる……?
なんにせよ、思ったほど不満はなさそう。
少し安心して、私は再び少女の後を追った。
商店街を抜けて、角を曲がると並木道が続いていた。
暖かな風が頬に触れる。
さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
「ねぇ、この道、素敵でしょ?ここはお気に入りの散歩道。
パパがね、この道が一番きれいなのは秋だって。
春も夏も冬もいいけど、秋が一番いいんだって言ってた」
またパパの話……。
「でも、あたしは春が一番好きなの。 ほら、気持ちいいでしょ?」
たしかに……たしかに気持ちいいけど……。
私はふと腕時計に目をやる。
いったい私たちは何をしているんだろう。
「ところで、未解決事件というのは……?」
私は思わず少女に尋ねる。
なんだか彼女は楽しんでいる気がしてならない。
やっぱり遊びにつき合わされたのかな。
「事件現場はもうすぐそこだよ」
不安になって七瀬さんを振り向くと、怠そうに歩く姿が小さく見えた。
怒ってるだろうな。
私が無理やりつき合わせたから……。
少女は並木道を横にそれて、小さな公園に入っていった。
ふと立ち止まる少女。
しばらく背を向けて、彼女は黙っていた。
やがて、ゆっくり少女は振り向き、大きく両手を広げて笑顔で言った。
「ここでね。ここでパパとバドミントンしたんだ!」
ここが事件現場……?
遅れて来た七瀬さんはタバコに火をつける。
「上手くなったな、って言いながら、何時間もつき合ってくれたんだ。
もうすぐパパより強くなるよ、って。いっぱい走って、いっぱい笑ったの」
ふと、彼女の顔が寂しそうに曇った。
「すっごく楽しかったのに……。
どうしてだろうね……」
パパとケンカでもしたのだろうか。
私は未解決事件と少女の話のつながりがよく理解できていなかった。
しかし七瀬さんは、そっぽを向いたまま、つぶやくように言った。
「楽しく過ごした時間を、悲しい思い出に書き換えるな」
七瀬さん……?
少女の頬を、一筋の涙がつたった。
- 異動願い
- やることがない。
過去の資料を調べてみよう。
パソコンのデータを検索すると、未解決事件捜査課のファイルは作成されていなかった。
今まで何もしてなかったの!?
この課に来てまだ数時間も経っていないのに、着々とやる気が奪われていく。
異動願いを出すべきか……?
いや、でもさすがに配属されてすぐ音を上げるわけには……。
もう少し我慢しないと……。
ピロピロピロピロ……
電話だ。
七瀬さんは身動き一つしない。
私は電話に手を伸ばす。
「出なくていい」
「え? なんでですか?」
「……」
七瀬さんは答えないが、この課にかかってきている電話を無視はできない。
「はい、未解決事件捜査課です」
「あーやっと出た! 何回電話しても出ないからさー」
「も、申し訳ありません! いかがされましたか?」
「俺さー、最近車買ってさー、その車がなんと……」
「その車が……?」
「新車なんだよー」
「は、はぁ」
「でさ、お姉さん。暇ならドライブいかない?」
「……」
私は黙って電話を切った。
「言っただろ、出なくていいと」
「ど、どういうことですか?」
「ここはまともな電話なんてかかってこない」
「でも! 出てみないとわからないじゃないですか!
もしかしたら、未解決の事件が……」
七瀬さんは興味なさそうにタバコをふかしている。
「他の刑事さんが優秀なんだろ。未解決の事件なんてそうそうない」
「ですが……!」
ピロピロピロ……
「出るな」
「そういうわけにはいきません!」
私は再び電話に手を伸ばす。
「はい、未解決事件捜査課です」
「あの……8年前に妻を殺したのは、私なんです……」
「ええっ!?」
ほら、こういう電話だってあるじゃないか。
「詳細をお聞かせ願えますか?」
「ええ、実は……」
「(あなた!)」
電話の向こうで女性の声が聞こえる。
「浮気が原因でケンカになって……」
「(しっかりしてください、あなた)」
「え?」
なんだろう、この変な感じは。
「カッとなってつい……妻をこの手で……」
「(私は生きてますよ! ほら、まだごはんの途中ですから)」
「あの……」
私が言いかけると、女性が電話を代わった。
「すみません、ご迷惑をおかけして。時々こういうことをしてしまうんです」
「あ、ああ……そうですか」
話を切り上げて受話器を置く。
「ボケた老人や暇人のいたずら電話、そんなのまともに相手するな」
ため息、いや、涙が出る。
なぜ私が情けなくなるのだろうか。
七瀬さんを見ると、相変わらずトランプをいじっている。
この人は、毎日こんな感じに過ごしているのだろうか。
あんなにトランプを見つめて、よく飽きないな……。
いっそ、占いでもすればいいのに。
ピロピロピロ……
「はい、未解決事件捜査課です」
「お姉さん、しかも俺の車さぁ、オープ……」
静かに受話器を置いた。
うん、異動願いを出そう。
私が決心した時、激しくドアを叩く音がした。
ドンドンドン!! ドンドンドンドン!!
「あ、はい!」
私が慌てて立ち上がり、ドアを開くと、小さな少女が立っていた。
「あ、いらっしゃいませ」
いらっしゃいませはおかしいか。
「どうしました? 落とし物だったらここではなくて……」
「未解決事件の捜査お願いします!!」
これが私と七瀬さんの初めての仕事となった。
- 濁った空気
- 今日から新しい部署。
私は不安な気持ちを隠して、廊下を早足に進む。
未解決事件捜査課と七瀬さんの話は聞かなかったことにしよう。
自分の目で見たものを信じるんだ。
大丈夫、私ならきっとうまくやれる。
未解決事件捜査課の扉の前に着いた私は、大きく深呼吸をした。
「お、おはようございます!」
扉を開けた私は、勢いよく頭を下げて挨拶した。
「…………」
あれ、誰もいないのかな。
でも、この臭いは……タバコだ。
恐る恐る顔を上げると、机の上に足を放り出して、
トランプをいじりながらタバコを吸っている男性の姿が目に入る。
間違いない、この人が七瀬さんだ。
私の元気な挨拶を、当たり前のように無視するとは……。
「この度、未解決事件捜査課に配属されました、雨倉香都です!
七瀬さん、よろしくお願いします!」
再び頭を下げてみる。
返事はない。
思っていた以上に手強そう……。
でも、最初が肝心。
私は、七瀬さんのデスクの前に進み出た。
「七瀬さん!」
「うるさいぞ、なまくら]
「あめくらです!」
初対面なのに失礼な人。
私の方を見ることもなくトランプを睨んでいる。
とにかく、やる気を見せないと。
「私、七瀬さんのお役に立てるよう、精一杯努力しますので!」
「いらん努力をするな」
この人苦手かも……。
私は肩を落として自分のデスクに荷物を広げた。
前の部署にいた時と同じようにデスクの上を配置して、パソコンを起動する。
……何をすれば良いのだろう。
この課の資料を読んでも、仕事内容が大雑把すぎてよくわからなかった。
私は七瀬さんのデスクに再び向かう。
「七瀬さん、まず、今ある仕事をお教えいただけますか?」
「仕事はない」
「え?」
さすがにそんなはずは……。
七瀬さんはタバコをもみ消した。
「席につけ」
「でも……」
七瀬さんは初めて私の顔を見た。
「用がある時だけ俺の前に立て」
「じゃ、じゃあ、とりあえず何をすればいいんでしょう?」
「とりあえず黙ってろ」
七瀬さんはまたトランプをいじり始めた。
私は黙って自分の席に座る。
何これ……黙って座っているのがここの仕事?
前の部署が懐かしい。
毎日忙しかったけれど、とてもやりがいがあった。
仲間もいた。
なぜ、こんなところに送り込まれてしまったのだろう。
デスクに肘をついて、楽しかった頃を思い返す。
そんなに大きなミスはしていないはず。
仕事はできる方だったはず。
なぜ、こんなところに……。
思わずため息が出る。
「ため息をつくな」
そう言って七瀬さんはまたタバコに火をつけた。
室内禁煙なのに……私タバコの臭い好きじゃないのに……。
こんな人とふたりで仕事……いや、黙って座っているだけなんて……。
いろんな意味でここの空気は好きになれない。
私はわざと七瀬さんに聞こえるようにため息をついた。
- 未解決事件捜査課
- なんということだろう。
配属先が未解決事件捜査課とは……。
最初は未解決事件という響きに惹かれ、興味を持っていた。
しかし周囲の話を聞けば聞くほど、なんだか出世街道から外れたような気がしてきた。
私の名前は雨倉香都(あめくらこと)。
エリート刑事の兄に憧れて、私も刑事になった。
私自身、なかなかのエリート刑事だと思っていた。
けれど私が今回配属されたのは未解決事件捜査課。
他のベテラン刑事たちに私が次の配属先を話すと、苦笑したり、なんだか励まされたりする。
なぜ……?
不安になって兄に相談してみたかったが、エリートで忙しい兄は捕まらない。
兄と仲が良くて、暇そうにしている広川刑事に聞いてみることにした。
「広川さん、未解決事件捜査課って、何か問題でもあるんでしょうか?」
広川さんは渋い顔をして、少し考えていた。
「問題があるわけじゃないんだけど……まあ、苦戦するかもなぁ」
「激務には耐える自信があります!」
広川さんは笑って答えた。
「いや、どうだろう。仕事内容はわからないけど……
現状、担当している刑事が一人しかいないのを見ると、忙しくはないだろうな」
「え? 一人って……私以外に一人しかいないんですか!?」
どういうことだろう……。
「一人って! ありえないでしょう!」
「まあ、その……担当している刑事……七瀬っていうんだけどね。
彼とやっていける人がなかなかいないんだよ」
「え……厳しい方なんですか?」
「んー……厳しいっていうか、変人というか」
変人かぁ。変人と二人きりかぁ……。
なんだか気が重くなってきた。
「まあ、悪い奴じゃないんだよ。とても優秀な刑事さ。やる気さえ出せば」
「やる気ないんですか……」
「優秀な刑事なんだけど……普段はトランプをいじっているかタバコを吸っているかだな」
「それ、優秀な刑事っていうんですか?」
広川さんは笑っていた。
私は笑えない。
「前に、なんかあったらしくてね。恋人を亡くしたとか……俺もよくわからんのだけど」
「そうなんですか……」
辛いことがあったのか……。
「まあ、がんばれ! なんかあったら相談に乗るさ」
「はい! ありがとうございます!」
余計なことを考えるのはやめよう。
先入観を持って人を見てはいけない。
もしかしたら、七瀬さんという人ともうまくやっていけるかもしれない。
よし! 頑張るぞ!
翌日、未解決事件捜査課の扉を開けると……
私を迎えたのは、机の上に足を投げ出し、トランプをいじりながらタバコを吸っている七瀬刑事だった。