先週まで冬の空気を纏っていた新宿の街にも春の気配が訪れた。
桜の開花にはまだ間があると言うが、それでも確かに季節の移り変わりを感じる。
ここは新宿歌舞伎町、神宮寺探偵事務所。
歌舞伎町の片隅で助手と二人、不景気の波に抗っている。
俺の名は神宮寺三郎、この探偵事務所の所長だ。
「おはようございます。先生」
事務所のドアが開き、柔らかな声が耳に届いた。
「おはよう、洋子君」
定刻通りに出勤してきた彼女は、助手である御苑洋子。
数カ国語を使いこなす才女で、探偵としての腕もなかなかのものだ。
「今日は久しぶりに、お客様がいらっしゃいますね」
朝のコーヒーを淹れる彼女の声が心なしか明るい。
一ヶ月ぶりだろうか……この事務所に依頼人が訪れるのは。
「今日やってくるのは、君島弘樹、裕太という親子だったな」
洋子君は電話の隣に置いてあるファイルを見て、小さく頷く。
「ええ。お話によると、身の回りで危険なことが起きるとかで……。
原因をつきとめたいと仰っていました」
「危険なこと……か」
親子で相談にくるということは、彼らの家に何かしらの問題があるのだろうか。
もしくは、家族の一人が誰かから恨みを買っているか……。
これまでの経験をもとに、様々な事態を推測していると事務所のチャイムが鳴った。
「いらっしゃったようです」
「ああ……」
俺は手にしていたタバコを消し、ネクタイを直す。
君島弘樹と君島裕太。
この二人との出会いが、長い事件の始まりになろうとは……この時は考えもしなかった。